ももいろのーと

意思が弱く男性経験の乏しい女が「水商売」と「男遊び」を経て人並みに自己決定が出来るようになるまでのシンデレラストーリー(仮)

ヲタクし切った女が辿り着いた最果ての新宿歌舞伎町にて自立した女になると決めた話




プロローグ


恥の多い生涯を送ってきました。


このブログを見たら両親は泣くと思う。


祖父母と父母に心から愛され、英才教育の名のもとに育てられ、私立高校に通わせてもらい、海外にも行かせてもらった。そして、もうすぐ大学を卒業しようとしている。


そんな私は

小中学生時代にはジャニーズにハマり、

高校時代にはヴィジュアル系バンドにハマり、

20歳を超えてからは舞台俳優と地下アイドルにハマった。周りにいる同世代の男子に魅力をみいだすことができずにいた。それよりもステージで輝く、モテる対象はいつも輝いていた。


ヲタクが恥ずかしいものでは無いという叫びが世間にやっと届いたと感じるのはTwitterYouTubeTikTokSNS世代のホーム画面を独占し人間の多様性に触れる機会がグンと増えてからである。


私はいつの時代にも、全力で全ての応援対象に恋愛感情を持っていたように思う。ジャニーズでいうと同担、ヴィジュアル系でいうと麺被り、若手俳優と地下アイドルでいえば推し被りは断固受け入れないタチだった。


過激派として名を馳せ、匿名掲示板には沢山ある事ないことを書かれたが、たったひとつ信念として自らは書くことを選ばなかった。書きたくなったら、紙のノートに綴ってシュレッダーにかけた。ひたすら対象に嫌われない自分でいよう、いい子でいようと必死だった。そんないい子の自分が大好きだった。いい子な自分が愛されるはずだと信じていた。


話は地下アイドルに通っていた頃、いわゆる「営業」を意識し始めた。「次はいつ?」「もう1回来る?」「今日は最前だったね」「5列以内にいてね」対象からのこの言葉達は強大な魔力を伴った。チケット取り、ライブ中の立ち位置、接触(11で話したりチェキを撮る時間)の全てに全力のお金を費やした。現場毎に一喜一憂し、少しでも素っ気なくされた時には1週間飲まず食わずに布団に引きこもった日もあった。「私が1番じゃないと意味が無い」が口癖。


私中心の世界を作り上げるだけの為に、通い始めたころに仲良くしてくれていた友人達にも私の被りと仲良くすることを禁じていた。もちろん、どんどん離れていった。全通をし、お金を積んでいくのが当たり前であり対象の1番であるべきだという私の常識は、いつの間にか純粋に楽しみたかったはずの友人の心を殺していた。そんな事とは裏腹に、対象の営業は私の独占欲を鼓舞していった。


地下アイドル界隈では平凡な出来事であるが、新曲のリリースイベントが全国各地で開催され1ヶ月の半分以上が現場という月が3ヶ月程続いた。推しとの接触の為にCDを買い、推しに認めてもらうために遠征をし、推しの1番を追いかけ続けた。


ただその代償は大きく、当時アルバイトを許されていなかった私は現金が尽きた頃にあろう事かクレジットカードのリボ払いに手を出した。リリースイベント期間が終わっても尚60万もの支払いに追われ続けた。



後払いが恐ろしいという事に20歳を過ぎても気づけない程、推しは尊かった。


支払い額が親にバレる事を恐れた私は、日中は大学に通いながら夜はチャットレディーとバーを掛け持ちし、遂に水商売へと足を踏み入れた。新宿は歌舞伎町。


がむしゃらに働き始めて2ヶ月後、返済が完了して間もなくメジャーデビューとツアー、更には新曲のリリースも決定していた。その頃には心も体もボロボロになってしまっており、推しに対しての全ての欲と感情を失った。






これが私が欲しかったモノなのかと気付いた。




自己中心的自己犠牲、すなわち自爆である。


身を滅ぼしておいて今更ながら、何も残らなかった。





推しへの欲望に身を投じる遊び方は魅力的であるものの、いつだって心身財布全てに余裕はなかった。

やっぱり賢くて綺麗な遊び方に憧れた。




きっと私に残された最後の舞台、歌舞伎町。

実はパブリックイメージよりも闇が深いものの、

寂しくて力強い街。


歌舞伎町を色で例えたら、私は深緑だと思う。





続く